year | month | contents |
1990 | 10 | 札幌市中央区にある、カワイ時計台ミュージックプラザの2階にて、 CAMUS主催による第1回DTMcafeが催される。 この時、平田と小笠原は面識はなく、ともに単なる客として来場。 「次回は参加しよう」とそれぞれが考えて帰路につく。 |
1990 | 平田は、同級生である成田、今野の3人で、”HIGH SIDE”結成。 手始めに12月に行われる、第2回DTMcafeへの参加を決める。 | |
1990 | 12 | 第2回DTMcafe開催、小笠原は1人で出場、HIGH SIDEのメンバーと運命的な出会いを果たす。 この時、HIGH SIDEは、オリジナルを1曲披露、曲は「Dynamite Dancin'」であった。 |
1991 | 2 | HIGH SIDEの本格的なデビューライブ |
1991 | HIGH SIDEは、ミニアルバム「Collusion」を作成。 このアルバムには、「Dynamite Dancin'」の他、 「Dressy」、「Feeling Blue」、「いつから・・・」の4曲が含まれる。 | |
1991 | 3 | ギター脱退、活動休止、HIGH SIDEは実質、解散状態になる。 |
1991 | 4 | 平田と成田の2人は、第2回DTMcafeで知り合った小笠原をバンドへ誘う。 当時、何もやっていなかった小笠原は2つ返事で加入を承諾。 他に、コーラス担当の紅一点、今野(ギターとは無関係)の4人で活動開始。 HIGH SIDEの延長ではなく、新バンドとして活動する事を決定。ここにRiddanceが誕生する。 |
1991 | 6 | バンドRiddanceとしてのデビューライブ 新曲として「Rhythmic Love」「Craziness」を発表。 平田のパントマイムがウケたため、以後ライブの定番となる。 ちなみに対バンは、アマチュア時代の「Guniw Tools」でした。(本当) |
1991 | 7 | 2回目のライブ 早くもバンド名を変更、Riddanceを読めない人が多かったため、Rid-Danceに変更する。 やっている音楽とバンド名が矛盾しているという、批判を後目に我が道を進み始める・・・ この時の対バンは「アステリズム」 |
1991 | 9 | 3回目のライブ 偶然、13日の金曜日だったため、出し物はジェイソンものに決定。 この頃より自分達がロックバンドであることを忘れ、コミックバンドの道を歩み始める。 このライブ以降、コーラスの今野は自然消滅・・・ |
1991 | 11 | 4回目のライブ 3人でのライブ、新曲「Easy Heart」を発表。 このライブの前の日、小笠原は楽器店で知り合った男性をライブへ誘う。 その男こそ高橋であった。その場で意気投合し高橋はRid-Danceへ加入する。 しかし、この後、アルバム作りに向けてライブ活動は休止。高橋の初ライブはいつの日か・・・ |
1991 | 12 | 第6回DTMcafe開催、平田と小笠原ともに個人で出場。(これってソロ活動というのか?) |
1992 | 3 | 1stアルバム「Visuarhythm」発売 未発表曲として「Visuarhythm」「New Century」収録 |
1992 | 5 | 高橋を含む4人での初ライブ 新曲「Arrive」発表、高橋はこのライブでギターシンセを披露。 この後、再びアルバム作りに向けてライブ活動は休止。 |
1992 | 8 | バンド仲間というより、遊び仲間に成り下がっていることに気づく。 慌てて曲作りに励み出す。 |
1992 | 11 | セカンドアルバムの本格的なレコーディング作業に突入。 4人の機材が平田の家に続々と集結する。 |
1992 | 12 | レコーディング作業の合間をぬって平田、小笠原、高橋の3人は 「CAMUS」のオムニバステープ「CAMUS2」に曲を提供する。 |
1993 | 2 | 2ndアルバム「いつかは」完成。 平田は就職のため上京とすることに・・・ 平田を含む最後のライブの日に発売することを決定。 |
1993 | 3 | 平田を含む最後のライブ。 はじめてホストバンドを務め、1時間のライブをこなす。 |
1993 | 4 | 平田、上京。 |
1993 | 5 | 小笠原、お遊び程度にギターを弾き始める。 |
1993 | 7 | 思うように活動ができないまま高橋、脱退。別のバンドへ・・・ |
1993 | 11 | 平田の穴は埋まらないことを再確認。 正式に解散を決める。 以後、ただの友人としてのつきあいになる。 |
1994 | 4 | 小笠原、函館へ転居 |
1995 | 4 | 小笠原、上京(転居)、たまに平田と顔を合わせるようになる。 |
1996 | 9 | 成田、夏休みを利用して上京、久しぶりに平田、成田、小笠原が揃う。 「またアルバムを作りたい。」という話で盛り上がる。 |
1997 | 2 | 高橋より平田、小笠原の2人にTEL。 4月より上京とのことである。 |
1997 | 4 | 高橋、上京。 |
1997 | 5 | 平田、小笠原、高橋の3人揃っての飲み会が小笠原の庭(?)である赤坂で行われる。 ここに「Riddance再結成」を3人は確認する。 |
1997 | 6 | ボーカルが札幌在住のため、ライブ活動ではなくアルバムを作成することに決定。 年内の完成を目標に曲作りに入る。 |
1997 | 8 | 毎度恒例、機材が平田の家に集結をはじめる。 今回のレコーディングの目玉は、平田の「デジタルパフォーマー」、と MDを利用した遠隔地レコーディングにある。 |
1997 | 9 | 平田、小笠原はNHKホールで行われた「Guniw Tools」のライブを見る。 やはりプロはかっこいい。 知ってる人がステージに立っているのは不思議な気持ちである。 |
1997 | 10 | 成田より他メンバーへ連絡、2月14日に結婚とのことである。 これによりサードアルバム発売日は2月14日に決定。 披露宴では約5年振りのライブをすることに・・・ 本格的にレコーディング開始する。 |
1997 | 11 |
成田=ボーカル 平田=キーボード 高橋=ギター 小笠原=ベース(初挑戦) の構成にて2曲演奏決定。 |
1997 | 12 | 小笠原、急遽金沢へ2ヶ月の長期出張。ピンチ! |
1997 | 12 | 平田がベースと楽譜を小笠原の出張先へ送付 なんとか練習をこなす。 |
1998 | 1 | 3rdアルバム「Life」完成 |
1998 | 1 | 高橋、翌年に結婚とのこと 平田曰く。「マラソンのゴール後にもう1回走れ」と言われたようだ・・・ |
1998 | 2 | 「Life」のマスタリングと量産を行う。 |
1998 | 2 | 14日、成田の披露宴ライブ 平田、高橋、小笠原の3人で合わせたのは3回、4人揃っては1回(10分)と かなり無謀ではあったが大成功の内に終わる。 観客のノリは過去最高と推測される。(当社比) |
1998 | 3 | 早速、4thアルバムへむけ曲作り開始。 |
1998 | 5 | 曲を持ち寄り開始。 |
1998 | 6 | 曲選定、アレンジ開始 |
1998 | 7 | 曲作りと並行しレコーディング作業開始 |
1998 | 10 | このホームページ正式公開! |
1998 | 12 | レコーディング作業、ちょっと遅れ気味 |
1999 | 1 | 平田、フジテレビの仮装マラソン参加 (バンドにあんまり関係ないか・・・) ちょっとテレビに映ったらしいが、 小笠原はそのシーンを見逃した。 |
1999 | 2 | 遂に恐れていた小笠原の転勤が決定、 4月には金沢なので、残りのレコーディングを急ぐ。 |
1999 | 3 | ギリギリでベースのレコーディング終了。 また高橋の結婚式が近いため4月はギターレコーディングを やらずにライブの練習に時間を割くことを決定。 |
1999 | 5 | GW、札幌で成田、高橋の音合わせ、 その後、高橋、小笠原、平田の楽器陣が東京で集合し音合わせ。 本番さながらの最終リハーサル敢行 本番への手応えを確信。 |
1999 | 5 | 22日、高橋の披露宴ライブ 2部構成で6曲演奏する。 披露宴が始まると高橋にはアルコール攻撃!! 演奏が終わるまで呑まないと信じていた平田、成田、小笠原は 「やべぇ、ガンガン呑んでるよぉ、どうするぅ?」 と青ざめるが、演奏は大きな失敗もなく、おおむね成功、 みんなよろこんでくれて良かった良かった。 |
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